私は物心ついたときには、いつも病院で点滴をしていました。
なんでだろ~?といつも疑問でした。
普通の生活をしているのに、なんで私は外で遊べないのだろう?と思っていました。
近所の子供たちはいつも外で真っ暗になるまで駆け回っていました。
母が外で遊ぶことを許してくれませんでした。
「あんたは、体が弱いから外で遊んだら具合が悪くなるから、外に出てはいけない」といつも言われていました。
私はいつの頃からか、普通の健康な体になることが夢になっていました。
体の自由がきかないことが一番不自由だと常に感じて過ごした幼少時代でした。
健康さえあれば、何でもできる!
私はいつもそう思って、健康になれることを色々試してきました。
保育園時代は月に登園日数が平均4.5日程度でした。
だから友達がなかなかできませんでした。
普通の健康をなぜ私はてにいれられないのだろう・・・??
いつも疑問でした。
4歳くらいからずっと私の克服するテーマでした。
小学校時代には体力をつけようと「縄跳び」「ジョギング」「体操」「水泳」など色々自分なりにトレーニングをしようとしましたが、3日くらいで高熱が出ては、母に「あんたが変わったことをするとろくなことにならない」とやる意欲を何度も削がれました・・。
小学生高学年には毎週月曜にはお参りにいったりと、「神頼み」まで頼ることになりましたが、なかなか効果は得られませんでした。
あらゆることを試した結果、母と離れると体調が良くなることに気づきました。
でもいつも母は私を追いかけてきました。
ホントに怖かったです・・・。
今思えば共依存の関係だったように思います。
母は私を鳥かごの鳥のように外に出さないようにいつも見張っていたように思います。
もし、私が物心ついたときに健康な体だったら、色々なことをしていたでしょう。
そんな毎日の中で私は、食べるものに気を配るようになってきました。
母は自営業をしていたからか、あまり手作りのものを作ってくれた記憶がなく、既製品が多く、時にはそうめんにマヨネーズと醤油をかけたものを夏場にはよく食卓に出されていました。
私は、母の作るものを食べていたら体が悪くなるような気がして、高校生くらいから自分で料理を作るようになり、結婚も20歳でして母の束縛から離れたくてしょうがなかった用に思います。
今も食べ物は無理のない範囲で気をつけています。
やはり、食べ物が体を作っていますから大切ですよね♪
おかげさまで健康に気をつけた食事と体を労わることの大切さを自然に身につけることができました。
これも母のおかげですね!!
感謝です。
写真は広島こだわりの野菜移動販売の「Green bridge」さんのお野菜たちです☆
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